安城百景

安城の風景とウキウキ美術館、そして仲間たち。画流三

「安城百景25 浜屋町 永安寺の雲竜の松 (梶くんより)」

今回、梶くんがスケッチを送ってくれました。

 

数年前に、安城市の風景をスケッチして、何かの形に残さないかと話し合った仲間の一人です。

梶くんには、写真、バイク、マラソン、手話などの趣味があります。マラソンでは大会に出るたびにタイムを競うのではなく、着ぐるみでたらたらと走っています。女性から「梶くんってアスリートなんですね」と言われ、「俺、アスリート」と言い続けています。何にしてもパワーあふれる男です。

 

スケッチは「雲竜の松」です。僕はここにも来たことがありますが、恥ずかしながらこの松が何たるかをよく知りません。そこで調べたところ、「人里の巨木たち」というホームページを見つけました。管理人さんに了解をいただき、説明を載せておきます。

「人里の巨木たち」より

曹洞宗永安寺の簡素な山門を潜ったすぐ先に、背の低い大松が枝を伸ばしている。
 目通りは、旧環境庁資料や案内板では3.7m。安城市の公式インターネットサイト上では3.1m。20%ほどの差がある。
 それもそのはず、そもそも地上1.3mの高さには、測るべき幹が無いのである。
 ご覧のように、低い位置で全ての幹が水平方向に向かい、どれを主幹と呼ぶべきか迷ってしまう。(「雲竜の松」の名称は、この姿を、雲を得て天に昇ろうとする竜の姿に見立てたもの)
 ところで、案内板によれば、永安寺は、当地の庄屋柴田助太夫なる人物と関係が深いらしい。(案内板には「霊をまつる寺」だとあった)
 助太夫は、延宝5年(1677)、村の人々のために、助郷役の免除を願い出て刑死したと伝えられる人物である。
 助郷(すけごう)とは、宿場機能を補助するため、人馬の提供を義務づけられた村のことである。多少の駄賃は支払われるのだが、とても労働に見合うものでなく、また農繁期でもお構いなしに提供を要求されるため、農民への負担は大きかった。(なにしろ、高校生時代は歴史の劣等生だったため、この部分については、学問的な意味での正確さに自信なし)
 このマツは、助太夫の家の庭にあったとも、寺の創建時に植えられたものだとも言われ、真相は不明のようだが、この地の人々は、昇天する竜の姿に、生命を賭してまで村人を助けようとした助太夫の高貴な精神を重ねて見てきたのではあるまいか。

引用させていただき、ありがとうございました。

「人里の巨木たち」には全国の巨木7251本が記述されていて、とても読みやすいです。

 

梶くんのスケッチは彼の人柄のように力強いです。相当な力を入れて描いたようです。これからたくさんのスケッチを出してもらえると思います。

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